野球関連

2009年11月 8日 (日)

梨田監督、健闘ご苦労様でした!

 幸い、今日利用した例の電車の車内広告ですが、まだ「優勝セール」は出されておらず、一応安心はしました。ただ、やはり百貨店では案の定、そのセールを開催しています…。

 とにかく、Gに敗れて悔しい事に変わりはありませんが、梨田監督率いる、今年の北海道日本ハムファイターズはよく戦ったと、正直思います。来年は各チームからのマークが一層、厳しくなりますが、是非ともこの悔しさをバネに、日本一を目指して頑張ってください!

 本当に、今年1年お疲れ様でした!!

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2009年10月28日 (水)

礒部選手、お疲れ様でした・・・。

 2001年の「最後の近鉄優勝」に貢献した、東北楽天イーグルスの礒部選手が戦力外通告を受け、結局そのまま引退というニュースを知り、私もいろいろと思うものがあります。

 やはり、2004年の「近鉄バファローズ消滅」の時、

 「せめてもう1年だけでいいから、それを凍結してほしい!」

と、涙がらに最後まで嘆願していた事が、今でも痛烈に記憶に残っています。本当に彼は終始ファンの立場に立って、球団側もしくはプロ野球機構側の一方的な都合による、

 「合併」

を回避しようと、試合の合間に「団体交渉」を、当時の近鉄の「選手会長」(当時のヤクルトスワローズの古田選手等も、同じ思いで同じ席についていました。)として、何度も何度も続けた事に、今でも敬意を抱いております。

 結果的に、「近鉄バファローズ」を存続させる事が出来なかったのが、今持って心から悔やまれますが、それでもどうにかパ・リーグを存続させる事が出来、そして今年CSに出場するまで成長した、「東北楽天イーグルス」の新規加入に繋がったものといえます。もし近鉄バファローズばかりか、パ・リーグまで消滅していたら、それこそプロ野球の歴史に、

 「大きな汚点」

を残していたと、断言出来ます。

 礒部選手は、近鉄時代はタフィ・ローズ選手や中村紀洋選手と共に、「いてまえ打線」の中核を担っていた方でありますが、イーグルスに移ってからは(あくまで私の視点とはいえ)、あまり際立った活躍が目につかず、傍から見ても不遇な感じが否めなかったと思います。

 波乱の13年間であったと思います。本当に、お疲れ様でした・・・。

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2009年10月11日 (日)

あれから、20年。

 当時の、THE ALFEEの最新アルバムのTOPナンバーに飾られていた、「Heart Of Justice」をCDで聴きながら、涙して近鉄バファローズの優勝シーンをTVで見たのが、1989年10月14日です。2009年10月14日にちょうど「20周年」を迎えますが、本当に、20年経つのは早いです。

 優勝する瞬間のシーンでもあった、阿波野投手が最後のバッターを三振に仕留めて、ガッツポーズをしながら抱き合ったシーンですが、その、「Heart Of Justice」の最後の歌詞である、

 「愛を裏切らないで Heart Of Justice~」

のフレーズが、そのまま似合っている場面であります。1988年10月19日の「10.19」という名の、

 「幻夜祭」

から、この瞬間を迎えるまでの1年間の、近鉄バファローズの

 「ミラクル優勝」

へ向けての戦いぶりは、私的には(結果的に)このナンバーの曲展開に凝縮したような感じであると、今でもそう考えています。

 続きにて、「よーつべ」から拾ってきたシーンを、ふたつリンクさせておきます。言うまでもなく、その関連の動画であります。

続きを読む "あれから、20年。"

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2009年10月 7日 (水)

とりあえず、おめでとうございます。

 梨田監督、2001年の近鉄バファローズに続いて2度目の優勝(厳密には、1位通過ですが。)、おめでとうございます。個人的には、北海道日本ハムファイターズは、基本的には応援してないとはいえ、パ・リーグの球団ですので、やはりあの「セ」の球団を倒して、今度こそ近鉄時代に果たせなかった日本一になってほしい気持ちは、十二分にあります。

 パ・リーグには他にも応援したい球団はありますが、どこが出てくるにしても、多分そのまま出てくるであろう「G」の打倒を目指して、CSを戦い抜いてほしいと、正直思います。

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2009年9月26日 (土)

8年前の、あの場所。

 もはや伝説の球団となりつつある、近鉄バファローズですが、8年前の2001年9月26日に「ライブ」で見たこのシーンは、間違いなく一生忘れることのない、現時点での

 「世界唯一である、野球での究極の優勝シーン」

である、

 「代打逆転満塁サヨナラ優勝決定ホームラン」

であります。

 「よーつべ」にもUPされているこのシーン(注:TV中継でのシーンです。)、こちらでも貼っておきたいと思います。

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2009年5月16日 (土)

彼こそ、永遠の「近鉄のエース」であります。

 久しぶりに、PCサイトの方の「近鉄バファローズファンサイト」を覗いていましたが、その中で「近鉄のエース」に関する投票があり、項目に(敬称略)、

 ①鈴木啓示

 ②阿波野秀幸

 ③野茂英雄

 ④岩隈久志

とあり、その中から投票ということでしたが、やはり、

 「10.19」

という「幻夜祭」の中での、彼の必死というか、壮絶な熱投が焼き付いてやまない記憶が今なお印象強く残っており、何の躊躇いもなく「阿波野投手」に投票しました。

 名前に挙がった4人とも、それぞれの時代の近鉄のエースであったことに変わりはなく、それ相当の功績も残していますが(監督業以外なら、鈴木氏のエースとしての功績は、確かにずば抜けて素晴らしいです。)、あの壮絶なダブルヘッダーでの死闘と、それに繋がる翌年(1989年)の優勝での活躍を思えば、阿波野投手はやはり、今でも

 「永遠の、近鉄バファローズのエース」

であると、改めて断言出来ます。

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2009年2月 7日 (土)

改めて、「10.19」に涙ぐんだ私・・・

 今日、テレビ朝日・ABC系列で放映していたスポーツSPの中の、近鉄バファローズの「10.19」の特集を見ていましたが、内容に若干引っかかる点もあったとはいえ、やはり、

 ・・・泣きました。

 あの「伝説」は私自身一生忘れることのない、近鉄バファローズが遺した壮絶な闘いといえます。

 当時セ・パ両リーグ通じて最強のチームであった、森監督が率いる西武ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)を、今は亡き仰木監督が就任1年目にして(途中絶望的な位置まで引き離されながらも)、優勝の目前まで追い込んだその執念と、目の前での「胴上げ」を何が何でも阻止したいという、有藤監督率いるロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)の意地を、ダブルヘッダーを通じて繰り広げた「死闘」は、少なくともリアルでその試合を生もしくはテレビで見ていた方には、十分過ぎるくらいに記憶に残っているものと思います。

 mixiのコメントにも書きましたが、仰木監督と同様に、今は他界された鈴木貴久選手が、梨田選手(現・北海道日本ハムファイターズ監督)がタイムリーヒットを打った際に、捕手のタッチを掻い潜ってホームインした後、当時の中西ヘッドコーチと抱き合うシーンに、思わず涙を流し、連投疲れの阿波野投手が、高沢選手に結果的にこの試合を決定づける同点ホームランを打たれ、さらに大石大二郎選手(現・オリックス監督)の牽制タッチのプレイを巡っての、有藤監督が猛抗議するシーンでは、悔しさと怒りを滲ませながら、「死闘」の2試合を見届けたあの遠い日が、今でも昨日起こった出来事のように思えます。

 のちのサッカーW杯予選の「ドーハの悲劇」等、同じようなシーンもいくつかありましたが、一度は諦めかけた近鉄バファローズのあわや

 「大逆転優勝」

の一歩手前まで追い込んだ、この壮絶な闘いは、間違いなく一生忘れることはないと、改めて断言出来ます。

 ・・・本当に、このシーンを改めて見ると、近鉄バファローズが「消滅」したこと自体が今でも悔やみきれないくらいに、残念な事であるとしか言いようがないです(涙)

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2008年12月18日 (木)

そう言えば・・・。

 元近鉄・オリックス監督の仰木彬さんが亡くなってから(2005年12月15日、享年70歳)、3年を経過したことをすっかり、忘れていました・・・。

 来年オリックスが近鉄バファローズと阪急ブレーブスのユニフォームを何試合か復活させるようですが、私としては、前身の阪急ブレーブスならまだしも、近鉄のユニフォームについては違和感が拭えないです。やはり近鉄バファローズは、

 「消滅」

した球団であり、もともと阪急であったオリックスがそれを着ることに、抵抗感が拭えないのが「旧・近鉄バファローズ」ファンの本心であると思います。

 もし、当の仰木監督(あえて敬意をこめて称しております。)が健在でしたら、多分両方のユニフォームを身につけるとは思いますが、やはり現在の大石大二郎監督やオリックスの(特に近鉄出身の)メンバーと同様、心中は複雑であるものと察しています。

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